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日本における解剖学の歴史

昨日の仙骨の語源で、一つ訂正と新たに調べてわかったこと。

 

重訂をさらに重訂正

オランダから重訂解体新書と・・・書いたのだけど、重訂=重ねて訂正され再発行という意味でした。⬅︎無知がバレるね。汗汗

 

【解体新書】は

もともとドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの書いた医学書Anatomische Tabellenアナトミシャ ターヴェレン解剖テーブルがオランダ語訳され【ターヘル・アマトミア】となり、江戸時代に日本に!!

 

江戸で医者をしていた杉田玄白がこの【ターテル・アナトミア】を見て、中に描かれている骨格や内臓の図が、それまでに学んでいたものと違っていたため、ある日処刑された囚人の解体(腑分け)に立ち会い、ターヘル・アナトミアの正確さに驚いた。

 

玄白は後にこの時の気持ちを「人の体の中を知らずに医者をしていたことを面目なき次第」と書き残している。

 

辞書もない時代に、前野良沢が翻訳、杉田玄白が清書係として3年〜4年もの歳月をかけて日本語訳されたのが【解体新書】

 

解体新書は西洋語から本格的に翻訳された日本初の書で、これをきっかけに日本の医学が急速に発展しただけではなく、天文学や測量、地理学などの蘭学の翻訳が盛んになり、まさに時代が動いた出来事だった。

 

辞書もない状態で初めての試みだったため、当たり前の話ですが、誤訳も多く、半世紀ほど後に玄白の弟子・大槻玄沢(げんたく)が誤訳を訂正し出版せれたのが【重訂解体新書】

 

 

あら、杉田玄白よりも前にも解剖がされていた!

 

日本における解剖の歴史

なんと【日本書紀】第十四巻に、第21代天皇である雄略天皇ゆうりゃくてんのうの命により稚足姫皇女わかたらしひめのひめみこの解剖が行われた。

 

ただしこれは妊娠の噂を立てられ追い込まれて五十鈴川で自害した姫の腹を割って、妊娠していないかを確かめるためだったんだって。かわいそうに

 

そのあと、701年に成立した大宝律令によって解剖が禁止となった。

 

次に解剖学が行われたとされているのが江戸時代に京都の医学者 山脇東洋。

人間の解剖をする前に、カワウソの解剖をしたらしい。

そして幕府の許可を得て、刑場で罪人の解剖を行い、この成果を【蔵志】として出版した。

 

これには腑分け無用論を唱える医者もいたそうな。

 

 

腑分けは表向きはタブーだったけど、実は江戸時代には処刑や罪人の遺体の処理をする仕事を代々行う身分の低い家があったのだそう。

 

そのため彼らは一般人や医師ができない腑分けを日常的に行っていて、本当か嘘か副業として、薬の原料としていたとか・・・。

 

ここらで杉田玄白 登場。最初は幕府公認の医師による腑分けの見学だったみたい。

こんな流れらしい。

 

 

当時の解剖の絵は結構生々しい感じのものも多いので、画像を貼り付けるのはやめておくけど、調べたら結構出てくると思います。見たい方は調べてね!

 

 

 

解剖学が日本に入ってくる前は、外科的な処置をするという概念がなく、五臓六腑が基本で、陰陽の気を整える中医学(東洋医学)的治療が主流で、骨は寄恒の腑きこうのふ通常ではない分類だった。

 

はぁ〜、ただいま〜

やっと骨に帰ってきた!!! 長い寄り道でした。